Voice


☆☆☆

母のうた(短歌)

                        大阪府勤労者山岳連盟常任理事 大西清見 登山(大阪労山)とはあまり関係がありませんが、「山に行く姿勢」を教えてくれた私の母のことを少し。 私は68歳を過ぎても、今もこうして元気に働くことができ、週末には私の趣味である、山へ行くことができるのは、 元気に育ててくれた母のおかげであると思っています。私と母と一緒に生活をしたのは、中学校卒業まで、 丹後半島の漁村(京都府伊根町)でした。 母は若いころより心臓が悪く、結婚後もよそのお嫁さんのように田畑に出て仕事ができず、 つらい思いをしたと話してくれました。そんな身体をもどかしく思いながらも、窓から見える景色や身近なものたちに心を寄せ、 うた(短歌)を作り始めました。母は日常の出来事や小さな生き物たちにも目を向け、その感覚はとてもユニークで優しさに包まれています。 人の暮らしとは、ささやかな幸せや喜びや感動の上に成り立っていることを教えられます。病気がきっかけで、 命のありがたさや生きることの楽しさを感じ、家族の絆を深めてきた母の声が聞こえてきます。 受験に出発(た)つ吾子と握手の暫くは吐く息白く早朝のかど  心臓の手術の電報(しらせ)持った手がふるへる夫を母は叱りき  山道は三歩もどって見直したお地蔵さんの花吸う蝶を  君に逢ひ喜び抱き帰る道彼岸の花が滅茶うつくし  送った荷もう着くだろうとひとり言野菜の数々ぎっしりつめた  母は心臓の手術をしてから元気になり、若いころできなかった畑仕事に精を出し、89歳になった今もたくさんの美味しい野菜を作っています。 私が帰省をするたび尋ねる母に、いつも答えは「若いころにできなかった分を今頑張る。海に畑に出かけて働くことが楽しい」と。 そんな母がまたうた(短歌)を作り始めました。    高齢(とし)なのに赤いっぱいの半てんを くれた息子夫婦(むすこ)の温もりを着る  爪先を上げて「アッ危ない」足ずらす知ったことかと蟻の行列  ハエ一匹じっと見つめて叩こうかとこの瞬間のわが顔見たい  子も孫も街に家持ち汗した畑吾で終わるかイノシシも現(で)る  悲しみと苦しみごっちゃ越えてきた八十路現(いま)大切に生く  帰省するたびに、母はかならず私に「山には気を付けて」とだけ言います。今年も母のこの言葉だけは 胸に刻み込んで山に向かいと思ったのでした。
機関誌部(大阪労山ニュース)のページへ ・大阪労山ホームページへ